「金谷の餅つき踊り」のルーツは、征夷大将軍の坂上田村麻呂に関係します。当時、金谷地区の田畑を荒らし
まわって、民衆を苦しめていた悪竜がおりました。この地にやってきた坂上田村麻呂は、民衆の苦難を見て
「私が退治してやろう」と告げて、岩殿山に登りました。
岩殿山に祀られている観音様に悪竜退治の祈願をしたところ、夏だというのに大雪が降り、あたり一面真っ白になりました。
坂上田村麻呂は、峠(後の「雪見峠」)から周囲を見渡しました。するとどうでしょう、一ヶ所だけ雪が解けている谷がありました。
「これはきっと観音様のお告げだ」と、坂上田村麻呂はその谷めがけて矢を放ちました。
その矢は勢いよく光を放ちながら飛んでいきました。
すると、大地が激しく揺り動き、耳を覆うほどの叫び声と共に、右目を射抜かれた悪竜が怒り狂って立ち向かってきました。すこしも慌てず二の矢を放ち、左眼を射抜きました。暴れる悪竜の首を切り落とし退治しました。
喜んだ民衆は、坂上田村麻呂に感謝し、喜びのあまり踊りながら餅を搗いて将兵達をもてなしたのがルーツと
言われています。
現在は五穀豊穣を感謝して、毎年11月23日に餅つき踊りが奉納されます。
大木遣りを歌いながら杵を担いで神社に練り込み、16種類もの餅つき踊りが披露されます。
つき上がった餅は参拝者に配られました。平成18年11月23日撮影 |